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2019.10.21

トルコのシリア侵攻の意味

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年10月17日)に掲載

  • 宮家 邦彦
  • 研究主幹
    宮家 邦彦
  • [研究分野]
    外交・安全保障

 恐れていた事態が先週、北シリアで始まった。6日の米・トルコ電話首脳会談を受け翌7日、シリアに展開する米軍部隊がついに撤退を開始した。9日夜にはトルコ軍が「平和の泉」作戦と称しシリア北部への軍事侵攻を始めた。攻撃対象はトルコがテロ組織と敵視するシリア系クルド人主体の「シリア民主軍」で、米軍のイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)掃討作戦を成功に導いた、米軍にとっては事実上の「同盟」部隊。これは一大事である。

 ところが日本での報道は意外にそっけなかった。トルコは「トランプ米大統領が事実上黙認したのを受け作戦に踏み切った」、6万人以上が難民となるなど「シリア情勢はさらに混迷を深めている」といった具合。だが、このトルコの軍事侵攻は、シリア情勢の混迷にとどまらず、欧州と世界の安全保障情勢に大きな影響を及ぼしかねない極めて重大な事態である。筆者がそう考える理由を書こう。

 第1の懸念はトルコ自身の行方だ。近代トルコ建国の父ケマル・アタチュルクは1924年にカリフ制廃止、イスラム法廷の閉鎖などを断行しトルコの脱イスラム国家化を進めた。ところが欧州はそのトルコを決して欧州連合(EU)には加盟させない。

 その反動なのか、トルコではイスラム系政党が台頭し、従来の欧米協調路線が徐々に修正されてきた。今回のトルコの動きもその一環と考えれば分かりやすいだろう。今次作戦でトルコが中東全域に対する影響力を回復することはない。だが、今後トルコが北大西洋条約機構(NATO)の一員としていかに行動するかは要注意だ。

 仏外相は今回のトルコによる北シリア侵攻作戦を「対IS安全保障や人道上の努力を台無しにするもの」と厳しく批判したそうだ。

 もちろん、ISの復活も気になるが、欧州の本音は難民危機の再来ではないか。今次作戦では再びおびただしい数の難民が生まれる可能性が高い。これらの難民の多くは必ずや欧州大陸を目指すだろう。その意味でも、今後のトルコの動きは中東だけでなく、欧州大陸の安全保障を大きく左右しかねないのだ。

 しかしながら、今回のトルコの作戦で明らかになった最大の問題は米同盟政策の異常さである。北シリアのクルド民族主義者たちは米国を支持し命を賭(と)してISと戦った。勇敢な彼らがいなければ米国のIS殲滅(せんめつ)宣言など不可能だったろう。そのクルド人たちをトランプ政権は事実上見捨てたのか。事態は深刻だ。

 ある米外交誌は「トランプ氏は(トルコの)エルドアン大統領に屈服し米国の信頼性を害した」とする記事を掲載し、今回のトランプ政権の米軍シリア撤退決定を強く批判した。同決定がトルコのシリア・クルド掃討作戦を誘発し、結果的に、クルドだけでなく、世界中の米国の同盟国に対し「米国は信頼できない」というメッセージを送ってしまったというのだ。事態はかくも深刻なのである。

 ところで、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はこのような「同盟国米国の裏切り」をいかに受け止めただろうか。文政権は強固な米韓同盟維持と対北朝鮮融和政策が両立すると信じているようだが、この米国に見捨てられたシリア・クルドの末路は決して対岸の火事ではないはずだ。韓国の政治指導者はトランプ政権が韓国をどの程度「同盟国」として重視しているかに気を配る必要がある。もちろん、この点は日本も例外ではない。トルコ軍に掃討されるシリア・クルドはわれわれにとっても決して人ごとではないのである。

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