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2019.06.20

「1989年5月35日」を想う

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年6月13日)に掲載

  • 宮家 邦彦
  • 研究主幹
    宮家 邦彦
  • [研究分野]
    外交・安全保障

 本稿が掲載される頃、安倍晋三首相はイラン訪問中のはずだ。41年ぶりの総理による歴史的訪問だが、迷った末今週は「1989年5月35日」について書くことにした。

 5月35日とは、6月4日を示す隠語だ。今から30年前の同日、筆者は外務省の北米局地位協定課に勤務していた。在日米軍の全ての不祥事から事件事故までを取り扱う忙しい部署だったが、北京でのあの事件は衝撃的で一日中CNNの天安門広場からの生中継にくぎ付けだった。

 結局、解放軍部隊が投入され、大量の血が流れた。当時、鄧小平中央軍事委主席が「今ここで後退する姿勢を示せば、事態は急激に悪化し、統制は完全に失われるので、北京市内に軍を展開し戒厳令を敷く」と述べたことをわれわれは後に知った。

 今北京であの事件について話す人はいない。「知らない」と答える市民を責めるつもりはない。彼らは間違っていない。判断を誤ったのはわれわれの方だろう。30年前の5月35日以降国際社会は中国について夢を見たのだから。

 当時われわれは中国の将来について4つのモデルを考えた。第1は経済発展・民主化モデル。投資で中国を資本主義化すれば、中国社会は変質し市民社会が生まれ、いずれは民主化が進むと本気で信じたのだ。こうして日本は事件後、中国に科された経済制裁を率先して解除し、対中投資拡大と中国の世界貿易機関(WTO)加盟に向けて舵(かじ)を切った。1990年初めのことである。

 ところがどうだ、中国の資本主義化で得られた富は民主化ではなく、軍拡と独裁制強化に費やされた。当時筆者はWTOサービス貿易交渉官として中国の加盟交渉に同席したが、当時から中国の加盟には反対だった。WTOでの意思決定はコンセンサス(全会一致)だが、中国はコンセンサスに決して参加しない。案の定、中国加盟以来、WTOは機能しなくなったではないか。何のことはない、結果的には中国の経済発展が独裁制を強化するという第2モデルが正しかったのである。われわれは30年後にようやくこの苦い現実を思い知ったのだ。

 しかし、中国経済は早晩下り坂になる。冒頭の中国発展モデル類型に戻ろう。第3は経済停滞・民主化促進モデルだ。経済的苦境に陥った庶民が民主化を求めると考えるのだが、果たしてそうなのか。経済困難が増せば増すほど、中国の政治指導部は社会的締め付けを強め、独裁制は一層強化されるかもしれない。これら全ては中国の一般庶民がどれだけ従順で忍耐強いかにかかっている。今の筆者にはこの問いに答える自信がない。

 最後に身も蓋もない話をもう一言。30年前のあの事件は一体何だったのか。学生たちの一部は共産党内に残り、いずれは内部から改革を進めてくれるのではないか。筆者がそう期待した時期も90年代にはあったが、2000年に北京に赴任し、それが希望的観測であることを痛感させられた。では30年前、仮に鄧主席が解放軍を投入しなければ中国共産党体制は崩壊したのだろうか。その可能性はあっただろう。しかし、それで中国の民主化が進むとはかぎらない。今のプーチン政権のロシアを見れば元共産主義独裁国家の民主化がいかに困難であるかは一目瞭然だろう。

 逆に言えば、30年前北京で何が起きようとも、中国はそう簡単には変わらなかったのかもしれない。でも、それでは悲しすぎないか。あの学生たちを無駄死にさせてはならない。30年前の勇敢な彼らの言動も中国現代史にしっかりと記録されるべきだと思うからだ。


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