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2019.05.10

アラビアのホーキンス

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年4月25日)に掲載

  • 宮家 邦彦
  • 研究主幹
    宮家 邦彦
  • [研究分野]
    外交・安全保障

 オーストラリア外務省に尊敬すべき戦友がいる。名前はニール・ホーキンス、筆者にとっては唯一の非日本人上司だった。豪州のエジプト、サウジアラビア大使を務めたが、筆者との最初の出会いは2004年3月、イラク戦争後のバグダッドだった。

 当時イラクは連合国暫定当局(CPA)の統治下、日本は2003年11月に奥克彦大使と井ノ上正盛1等書記官を失っている。筆者はそのCPAの開発協力局に翌年1月から出向していたが、そこに局長として赴任してきたのがニールだった。同局は日米英加の他、シンガポール、ポーランド等の外交官・エンジニアの混合部隊で極めてユニーク、同僚のポーランド人は後に同国大統領にまでなった。

 ホーキンス局長の指導力と英知は卓越していた。カイロで育ったらしく、今も美しい正則アラビア語を完璧なエジプト訛(なま)りで喋(しゃべ)る。CPAでは数少ない中東通だったが、当時連合国の占領政策は失敗しつつあり、頭の固い米国人政策決定者や、誇りだけは高いがあまり機能しないイラク政治家・官僚のはざまで苦労が絶えなかっただろう。

 当時から筆者は彼を「アラビアのホーキンス」と呼んでいた。アラブ国家再建のための絶望的な努力の末に志を貫けなかった「アラビアのローレンス」に似ていると感じたからだろうか。ニールのような外交官を派遣した豪州政府には感謝しかない。彼がいなかったら筆者のCPA出向はもっと不愉快なものだったと確信する。しかし、筆者が豪州に敬意を表する理由はこれだけではない。

 日本人はもう忘れているかもしれないが、当時イラク南部に派遣された自衛隊部隊の安全を支援したのは外ならぬ豪州軍部隊だったからだ。

 イラク特措法に基づき自衛隊部隊がサマワに派遣されたのは2004年1月。その活動は「非戦闘地域」に限定されており、当初はオランダ軍が安全支援を行ったが、1年後オランダ政府は蘭軍全面撤退を発表。2005年3月からはオーストラリア軍が蘭軍、英軍に代わり自衛隊部隊を支援してくれたのだ。

 ここで「非戦闘地域」の定義問題を蒸し返すのが目的ではない。より重要なことは、現在順調に発展している日豪安全保障協力の原点がイラクでの協力にあったことだ。

 バグダッド勤務で筆者は同盟について2つの教訓を学んだ。第1は「同盟とは諜報の共有」である。CPA赴任直後の筆者の地位は「レベル5」、機密情報へのアクセスのない最低ランクだった。当時日本はあくまで「客人」だったのだ。ところが、自衛隊部隊の本隊がサマワに到着して扱いが劇的に変わった。日本は晴れて「連合国」の一員となり、筆者のランクも「レベル4」に昇格。機密情報にもアクセスできるようになった。

 第2の教訓は「同盟とはリスクの共有」である。オランダ、英国、オーストラリア政府は自衛隊を「連合国」の一員と認識したからこそ、リスクを共有して安全支援を行ったはずだ。

 昨年10月の日豪2+2(外務・防衛閣僚協議)や先週末の日米2+2が象徴するように、今や日米豪の安全保障協力は事実上の同盟関係に近づきつつある。しかし、日本は「同盟の本質」を決して忘れてはならない。同盟とは相互に「諜報の共有でリスクを共有する」ことだからだ。以前のように同盟国に一方的に依存するような安全保障協力や同盟は長続きしない。日本は日本国憲法の範囲内でイラクでの教訓を生かすべきだ。


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