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2019.06.03

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第122号(2019年6月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

  • 栗原 潤
  • 研究主幹
    栗原 潤
  • [研究分野]
    米国情報・ネットワーク

 先月はThe Economist誌の表紙を眺めるたびに--"Collision Course"(11日号)、"A New Kind of Cold War"(18日号)、"The Great Jobs Boom"(25日号)--戸惑っていた。「令和」元年早々、悲観と楽観が交錯し情勢判断が難しい。

 昨年からハーバード大学行政大学院(HKS)で研究しているエスファンディアリー氏の著書(Triple Axis: Iran's Relations with Russia and China, October 2018)の中の言葉--"Nationalism became a key driver of foreign policy and shapes national security and interests in all three countries."--を思い出し、高まる不確実性の中で経済活動が乱高下する危険が忍び込んで来た事を感じている。


 近年、世界の大学ランキングの中で日本の地位低下が指摘されている。こうした指標は、優れた留学生を勧誘する際には極めて重要だ。しかし、それ以外の時にはあくまでも"参考指標"として考えている。

 こうした順位表の問題点は評価の分析単位(unit of analysis)に起因する。筆者は評価が分野や研究所、或いは学科や教授等に限定されていなければ意味をなさないと考える。従って「StanfordかHarvardかPrincetonか」という選択肢は、例えば今夜の夕食は「寿司か鰻丼か鍋料理か」という選択肢と似たようなもので個人の好みで選べば良いと考えている。例外としては、留学生を勧誘する際だ(罪はないが、若人はどの大学が何故良いかを漠然としか理解しておらず、その時々の世評に左右される)。
 だが「特定分野」に限ると話は全く変わる。米国の友人から以前「日本のAI研究の将来は厳しいね」と言われた。そこで米国の専門団体による分析(CSRankings)で、世界の研究機関別順位(2016~2019年)を見ると、確かに大変だ!!--上位5位は米国の2つの大学(Carnegie Mellon (CMU)とStanford)、そして中国の3つの大学・研究機関(清華大学、北京大学、中国科学院(CAS))が占めており、しかも、10以内にはシンガポールの2大学(南洋理工大学(NTU)とシンガポール国立大学(NUS))が入っている。翻って日本の大学は東京大学が30位で京都大学が76位だ(上位の研究機関の名前は、4ページ目の添付資料を参照)。こうした現状を直視すると同時に、優秀な日本の若人達に期待しつつ、彼等のために我々が出来ることを考えている。


 AI自体の技術開発で日本がたとえ遅れをとったとしても、AIを徹底的に"活用"する事に優れていれば、問題はない。即ち技術の"開発"も大切だが円滑な利用・活用もそれと同様に、或いはそれ以上に重要なのだ。

 その例の一つがチャーチルによる科学技術の開発・利用だ。1940年初夏にフランスが敗れ、欧州には英国とソ連だけがドイツに比肩する大国となった時、首相は科学技術力を活用する事こそ祖国を救うと信じていた。そして英国の科学者達、①ジョーンズには独空軍の電波航法を攪乱させ、②チューリングには独海軍の暗号を解読させ、③ティザードには、当時は中立国だった米国の科学技術力と工業力を利用してレーダー技術を発展させ、強敵ドイツから英国を死守したのだ。首相の軍事戦略に対する素人的介入は不評だが、この技術戦略に関する彼の組織改革・人材活用能力には評価が高い。
 この例が示す通り、技術の活用には、技術者による開発と同時に利用者側からのフィードバックを通じた継続的洗練作業が不可欠で、それには技術開発集団を率いるリーダーの資質が重要になってくる。この点は、実は随分以前にも触れた点である(小誌第63号(2014年7月))。即ち研究におけるリーダーは単なる専門家ではなく、オーケストラの指揮者が各パートの演奏者達を巧みに活かしつつ、組織全体でハーモニーを奏でられるような戦略的思考力を具えた人物でなければならない。これに関し金森順次郎元大阪大学総長は、彼の小論「独創的な研究を生む環境」の中で独創的研究に必須となる"幅の広い精神活動と強靭な志"を強調されている(『科学技術と知の精神文化-新しい科学技術文明の構築に向けて』所収)。


 さて、元号「令和」の出典が『萬葉集』とのことから、久しぶりに同書を開いてみた。その中に令和期の「人生百年時代」にもふさわしく、また参考になる歌を見つけて感慨にふけっている。

 「百年(ももとせ)に 老舌(おいした)出(い)でて よよむとも われはいとはじ 恋は益(ま)すとも」、即ち「あなたが百歳になり、口に締まりがなく舌が出て腰が曲がったとしても、私は厭わず、むしろ恋心が増すことになるでしょう」という意味だ。この大伴家持の歌と山上憶良の「勝れる宝 子にしかめやも」の歌とを考え合せると、古代の日本は、必ずしも豊かで便利な社会ではなかったかも知れないが、高齢者や子供達を慈しむ社会であったのであろう。


 令和の時代も子供達や高齢者に配慮する社会を念頭に、目的に沿う形の新技術を生み出したいものである。


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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第122号(2019年6月)PDF:385.4 KB

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