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2020.05.29

食料・農業・農村基本法20年とJA・営農団地構想の勝利

週刊農林 第2414号(5月15日)に掲載

  • 山下 一仁
  • 研究主幹
    山下 一仁
  • [研究分野]
    農業政策・貿易政策

 1961年に制定された農業基本法が20年を迎えたとき、その生みの親と言われる小倉武一は、「他の法や制度では20周年を大々的に祝うのに、農業基本法だけは誰も20周年行事を行おうとしない、農業基本法は蛻(もぬけ)の法となった」と嘆いた。農林水産省の誰も農業基本法を参考にしようとはしなかった。

 他方で、小倉たちが反対していた高米価政策は今も続いている。1970年に緊急避難的に行われた減反政策は50年も続いている。JA農協は、米価維持のために、米の生産を減少させることに必死である。

 これに比べると、食料・農業・農村基本法は恵まれている。20年たった今も、この基本法に基づく計画が作られている。私が関与した"中山間地域等直接支払い"も、制度は劣化しながらも20年続いている。今回の「基本計画」を評価する前に、その前身の農業基本法は、何を狙っていたのか、なぜとん挫したのかを見よう。


農業基本法の狙い

 戦前農政の課題は小作農問題と零細農業構造だった。農地改革により小作問題は解決したが、零細農業構造が固定化した。農政のリーダーたちは、"農地改革から農業改革へ"をスローガンとし、次は構造改革によって農業経営の改善・向上、国際競争力の強化を図ろうとした。1948年の農林省「農業政策の大綱」は「今において農業が将来国際競争に堪えるため必要な生産力向上の基本条件を整備することを怠るならば、我が国農業の前途は救いがたい困難に陥るであろう。」と述べている。

 農業基本法はこのための立法だった。

 所得とは、価格に生産量をかけた売上額から、コストを引いたものである。売上額を増やすか、コストを下げれば、所得は増える。需要が伸びると見込まれる畜産や果樹に生産をシフトし、売上額を増やす("選択的拡大")一方、米のように需要が伸びない作物でも、農業の規模を拡大し、生産性を向上していけば、コストの低下により、低価格の下でも十分農業者の所得は確保できる。


農協の"営農団地構想"

 農地面積が一定の下で一戸当たりの規模を拡大するためには、農家戸数を減少させなければならない。しかし、農家戸数の減少を嫌う農協は、選別政策だと主張して農業基本法による構造改革に反対した。

 農協は"営農団地構想"を掲げた。故佐伯尚美東大教授はこれを次のように批判している。「営農団地構想は、政府の自立経営農家の育成という構造政策の方針に反対し、これに対置すべき系統農協独自の地域農業対策として展開された。(農業基本法の)自立経営育成政策が農家の選別という発想をその根底にもつのに対して、営農団地構想はこれを否定し、産地を経済地域としてとらえ、そこでの農家をいわば丸抱えしていこうとする発想に立つ。(中略)組合員の平等と言う形式的民主主義をとる農協にとって組合員の選別という発想はとうてい受け入れがたかった...」(「農協改革」197ページ参照)

 小倉は次のように述べている。「農業基本法は、スタート前後から悪運に付き纏われた。(中略)悪運のもう一つは、農協系統が基本法農政に同調しなかったことである。無関心というよりも、例えば営農団地というような独自のスローガンを持ち出して、構造政策の推進に協力するような体制を取らなかった。当時は地域間、業種間の所得均衡が国政をリードするスローガンであったといってよいが、その所得均衡は、農政においては構造改善によってではなく、専ら価格政策=価格支持政策に依存するようになった。それによって米の自給化を達成したともいえるが、米の生産過剰の体制をもたらしたともいえる。そして、減反=作付け制限が長期間続いている。しかも生産制限を続けながら外米を輸入せざるを得ないことになってしまった。」(「ある門外漢の新農政試論」8~9ページ参照)

 ともに農業基本法制定に関わった東畑精一東大教授の「営農に依存して生計をたてる人々の数を相対的に減少して日本の農村問題の経済的解決法がある。政治家の心の中に執拗に存在する農本主義の存在こそが農業をして経済的に国の本となしえない理由である」という主張に、小倉は「農本主義は今でも活きている。農民層は、国の本とかいうよりも、農協系統組織の存立の基盤であり、農村議員の選出基盤であるからである」と加えている。


「基本計画」の中の営農団地構想

 長々と農業基本法の不幸について述べてきたのには理由がある。今回の「計画」が、「経営規模や家族・法人など経営形態の別にかかわらず、担い手の育成・確保を進める」とし、大規模農家を軸とした農政(つまり農業基本法の思想)から大きく舵を切ったと評価されているからである。(週刊農林4月15日号)

 それだけではない。次の記述を見て、驚いた。「中小・家族経営など多様な経営体については、産地単位で連携・協働し、統一的な販売戦略や共同販売を通じて持続的に農業生産を行うとともに、地域社会の維持の面でも担い手とともに重要な役割を果たしている実態を踏まえた営農の継続が図られる必要がある。」(「食料・農業・農村基本計画」 39ページ)「中小・家族経営など多様な経営体が農業協同組合や農業法人の品目部会等により産地単位で連携・協働し、統一的な販売戦略や共同販売を通じて農業生産を行い、地域社会の維持に重要な役割を果たしている」(「食料・農業・農村基本計画」42ページ)これは"営農団地構想"そのものではないか。農業基本法を葬った農協の勝利である。

 小農を維持すべきだとする戦前の"小農主義"は、貧しい小農を圧迫していた地主階級擁護の主張だった。小作人が多く、その耕作規模が小さいほど、農地あたり多くの労働が投下されることになる。これで単収が増加すれば、地主にとって収量の半分に当たる小作料収入も増加するからだ。

 農地改革は多数の小地主を誕生させ農村を保守化した。平等な規模の小地主で構成された農村は、これに適合した組合員一人一票主義の農協によって組織され、保守党を支えた。保守党はこれに米価引上げで報いた。

 高米価のために高コストの零細農が滞留し兼業農家となった。多数の零細農によって農協の政治力は維持され、その本業ともいうべき兼業収入を預金としてJAバンクは発展した。農協が農家戸数の減少につながる構造改革に反対し、小農主義を唱えるのは当然だ。小農主義は、戦前は地主制と、戦後は農協と結びついた。奇しくも、地主階級も農協も、高関税と高米価を要求した。実現のための手段も、ともに米供給の制限・減少だった。


"矛盾の体系"としての農政

 農林水産省の中に農協と呼応する動きがあった。予算を獲得して天下り先を確保するためには、政治力が必要である。その基礎は農民票である。農林水産省の幹部は組織維持のために規模拡大とは反対の農民票=兼業農家の維持を志向するようになった。農林水産省百年史の座談会において、東畑精一は、「どうも農政の立場として農業人口が減ることに対して抵抗があったのではないか。」と発言している。80年代に入ると、兼業農家も食料供給等に一定の役割を果たしているという主張が、農業白書に堂々と書かれるようになった。

 政策についても、整合性がとれなくなった。農家個人所有の田畑の整備のため、毎年1兆円規模の農業基盤整備事業が、公共事業として農家の負担わずか10%程度で実施されてきた。農家が投資してコストダウンを図っても、農産物価格が低下すると消費者はメリットを受けるが、農家は投資額を回収できなくなると考えて投資しなくなる、これが、農地整備という私的な投資を公共事業で行う根拠だった。その一方で、農産物価格を下げないことを目的とする減反に50年間で9兆円、過剰米処理に3兆円以上を投入した。

 農協と同じく農政も"矛盾の体系"となった。今回の基本計画でも、規模や形態のいかんにかかわらず、担い手として育成・支援すると言いながら、農地の集積・集約化を重点的に実施するとしている(「食料・農業・農村基本計画」39ページ)。しかし、規模の大きさなどにより対象を絞った政策は、今後実施されなくなるだろう。

 東畑や小倉が批判した農本主義をたたえるような文言(「農は国の基(もとい)との認識を国民全体で共有し」)が基本計画に盛り込まれた。農家保護が目的なら、高い米価よりも直接支払いの方が経済学的にも望ましい。農が国の基なら、なぜ国民の一部に過ぎない農協のために、米価を高く維持し、水田のかい廃につながる減反を継続するのだろうか。

 本来農本主義とは、このようなものではない。戦前農政の大御所であり、農本主義者と言われた石黒忠篤は1万5000人の農民に次のように述べた。


 「農は国の本なりということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。所謂農本主義と世間からいわれて居る吾々の理想は、そういう利己的の考えではない。国の本なるが故に農業を貴しとするのである。国の本たらざる農業は一顧の価値もないのである。」


 国民の主食たる米の価格を上げたり、食料安全保障の基本である水田などの農地資源を減少させようとする農政こそ、「一顧の価値もない」ものではないか。


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