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2020.05.01

医療のためだけではなく、社会の不安を取り除くための「検査と追跡と隔離」

 新型コロナウイルス感染症の流行は先行きが見通せず、世界中で外出の自粛と企業の休業や外国人の渡航制限など「経済活動の停止」が続く。このまま経済活動の停止が1年も続けば、資金に余裕のある大企業も大量に倒産し、戦後の日本ではみたこともないような大量の失業者が発生するだろう。大恐慌時のアメリカ(失業率25%、国内総生産50%減)よりもひどい状態になるかもしれない。経済停止の「出口」、すなわち、経済の早期再開を求める声は欧米で強くなっている。日本でもそのような世論は日増しに強くなるだろう。

 ハーバード大学のCenter for Ethicsが発表した提言「パンデミックに対して強靭な社会を目指して(Roadmap to Pandemic Resilience)」は、まさに経済停止の「出口」戦略を提案する(最終更新は4月20日12時)。提言の内容は、同センターが作ったYouTube動画「How We Reopen」でも分かりやすく解説されている。

 斬新なのは、「経済停止して大不況を甘受するか、経済再開して感染爆発を甘受するか」という二者択一の議論になっていない、ということである。ハーバードの提言は、「感染を抑止し続けながら、経済を再開できる第三の道がある」と主張しているのである。

 ひとことで言えば、「一日500万件の大量のPCR検査を行い、濃厚接触者を追跡し、陽性者を(生活支援をしながら)確実に隔離すること(Testing, Tracing, and Supported Isolation, TTSI)」によって、職場や学校の感染リスクを抑えて、経済や社会の正常な活動を再開する、という戦略である。

 一日500万件、というのは、政策を売り出すためのレトリックであり、もちろんまったく現実的な数字ではない。注目すべきは、500万件という数字より、彼らの発想である。PCR検査の精度は低いものであっても、大量に繰り返し検査することで、感染者を検知して隔離できれば、職場や学校の感染リスクは相当程度、軽減できる(脚注1)。だから、不正確であっても構わないからとにかく社会全体の人材と資源を動員して検査数を増やそう、というのが彼らの単純素朴な発想である。

 医療関係者から見れば、PCR検査を受けたい人は誰でも受けられるようにすると、陽性者があまりにも大量に検出されて、医療崩壊を引き起こすのでとんでもない、ということかもしれない。現在(1日約8,000件)の500倍もの件数の検査をいまの医療界の人材と資源だけで実施すると考えると、たしかに非現実的な夢物語である。しかし、医療界以外の「人、もの、カネ」を総動員して半年ほどの時間をかければ、現在の数十倍の検査なら、必ずしも実現できないわけでもないと思われる(詳しくは脚注2を参照)。また、国内だけでなく、検査システムを拡充して新型コロナ感染症の封じ込めに現時点で成功している諸外国との協力(技術提携や検査のアウトソーシングなど)も有効だと思われる。

 しかし、そのような具体論よりも、ハーバード大学の提言が打ち出しているのは、「検査と隔離」政策に関する基本哲学(または戦略目標)を転換するべきだ、というメッセージであり、そのメッセージをどう受け取るかが大切である。

 それは、「検査と隔離」の目的を、「医療のため」ということから「社会の不安を取り除くため」に転換すべきだ、というメッセージである。

 従来、検査と追跡と隔離は、新型コロナ感染症に対する医療行為の一環として捉えられてきた。一見、それは当然である。日本でも、医師が必要と認めた患者をPCR検査し、隔離するべきだ、という議論がされる。いまは「医師が必要と認めた患者すらPCR検査が受けられない」ことが問題になっているから、検査を増やすべきだ、と言われるが、医療を超えた目的のために検査をするという議論は起きていない。あるテレビ報道でも感染症専門医は、「医師が必要と認めた患者は検査すべきだが、個人(非医療者)が自分の判断で検査を受けられるようにすべきではない。そんなことをすれば医療崩壊が起きてしまう。」と述べていた。

 ハーバード大学の提言も、だれでも受けたい人が受けたい時にPCR検査を受けられるようにする、といっているのではない。しかし、「非医療者が、自分たちの職場や生活圏の感染リスクを抑えて、不安なく働けるようにするために、大量にPCR検査と追跡と隔離を実施するべきだ」と言う。

 検査を実施するときに、大きなクラスターを効率的に潰せるように検査の優先順位付けをすることは当然、必要であろう。また、社会基盤を担う職場から順番にPCR検査でクリーンアップし、社会基盤から機能を回復するのである。

 具体的には、まず救急医療など医療現場のスタッフを全員、頻繁にPCR検査して、院内感染を防ぐ。さらに、消防(救急隊など)、警察、行政、などライフラインの職員を検査し、感染リスクを恐れずに働ける環境を作る。その次に、各種産業や商店の職員を検査し、事業を順次、再開できるようにする。学校も順次、PCR検査を行って、クラスを再開する。発見された陽性者は、仕事と収入を政府が補償(もちろん上限つきで)しつつ、管理された隔離施設に入ってもらい、陰性になったら元の職場に復帰してもらう。

 要するに、ハーバード大学の提言の問題意識は「経済再開の前提条件は何か?」という問いであり、その答えは、たぶん多くの一般人にとって納得できるものだが「大量のPCR検査をできるだけ多くの人(無症状者)に、一定の優先順位をつけつつ、受けてもらって、陽性者を隔離し、社会全体の感染リスクを下げること」なのである。

 無症状の一般人が大量にPCR検査を受けることについては、「医療崩壊につながる」と否定的な意見が医療の専門家に根強いことは上述のとおりである。

 しかし、その意見は、「医療崩壊を恐れて検査数を抑えれば、野放しになる無症状感染者が増えて、医療者の視野の外で感染者が増える。その結果、しばらく時間差をおいて医療現場に一気に感染者が押し寄せ、医療崩壊のリスクが高まる」という負の外部効果を見落としている。経済学者にとっては「負の外部効果」の議論はお馴染みのものだが、医療などの専門家は、検査数を抑えるという自身の決定が医療現場の「外」に与える影響を省略して考察し、負の外部効果を軽視する傾向が生まれてしまうのではないか。

 感染症対策は、医療現場だけの問題ではなく、社会をどうやって再生するかという問題である。その観点からみれば、ハーバード大学の提言が投げかけたメッセージ(PCR検査の基本哲学を転換し、医療界以外の資源も総動員すべきである)は、早急に、真剣に、検討されるべき問題提起である。


 

脚注1

  PCR検査は、1回の検査で真の感染者の70%しか感知できない(感度70%)と言われるが、3回検査すれば、97.3%の感染者を感知して隔離できる(個々の検査が独立事象と仮定すると、3回の検査で感染者を検知する確率は1-(1-0.7)3=0.973)。ただしこれは3回検査して1回でも陽性なら「陽性」と判定するルールにした場合である。1回の検査の特異度は99%(感染していない人の1%は偽陽性がでる)とすれば、3回検査する上記ルールでは特異度は97%(=(0.99)3)に下がってしまう。しかし3回の検査で感度97.3%、特異度97%を達成できれば、一定の条件下では検査精度を考慮して許容できる範囲になるのではないか。


脚注2

 1日数十万件のPCR検査を実施する体制を半年以内に整えることは、次のようにして医療界以外の人材と資源を総動員すれば必ずしも不可能ではないと思われる。
 検査機器の大量生産に半年、検査人員1万人程度を他業種からリクルートし訓練するのに数か月、民間ホテル等(日本の旅館・ホテルの総客室数は約160万室)を借り上げて50万人を収容する隔離施設を整えるのに半年、と考えれば、1日数十万件の検査も実現性はありそうだ。なお、検査人員は検体採取のときに感染リスクがあるので、医療者以外には検査をさせられない、という意見があるが、そんなことはない。タクシー運転手や建設作業員など医療関係ではない多くの職業にも命の危険はつきまとう。医療を特別視して、結果として医療従事者に過重な負担をさせるべきではない。検査人員には1千万円程度の高給を約束して他業種からの参入を積極的に促し、かれらの感染リスクは生命保険(保険料は政府が支払う)と危険手当の支給でカバーするのが妥当だろう。
 これらの措置には年間1~数兆円規模の資金が必要になるかもしれず、実施には多大な困難が予想される。しかし、経済社会の崩壊を回避するには「検査と隔離の拡充によって早期の経済再開を達成」というシナリオの実現が必要である。国民の英知を結集して、こうした困難を乗り越える手立てを考えることが求められよう。


小林 慶一郎 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

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