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2020.03.12

これからの自治体の農業政策【前編】

総務省自治大学校ホームページ(2020年2月)に掲載

  • 山下 一仁
  • 研究主幹
    山下 一仁
  • [研究分野]
    農業政策・貿易政策

考えるということは?

 行政においては、旧例を踏襲して定型的に処理すればよい場合もあるだろうが、行政が対象とする社会も経済も刻々と変化するので、様々な局面や状況で我々が"考える"ことが必要となる。世間で"頭が良い"と言われる人が考えることに長けているとは限らない。東京大学を一番で卒業する人は誰かが考えた試験問題について誰かが作った答えを書いているだけである。

 行政などの実社会で要求される"頭の良さ"はこのようなものではない。まず、我々の仕事には誰かが用意した問題文があるのではない。何が問題でこの地域の経済活動が停滞しているのかなど、問題を見つけなければならない。この作業は決して簡単なことではない。本質的な問題に気が付かない場合が多い。一種のセンスが必要となる。

 次に、我々の仕事には誰かが用意した答えがあるのではない。複数の答えがあるかもしれない。その中で最も適切なものを選ばなければならない。

 この"考える"という技術やセンスは、誰かが教えてくれるものではない。しかし、努力や訓練で向上させることができる。また、"考える"ための工夫はある。

 まずは、関連して重要だと思われる事実(ファクツ、データ)を集めることである。単に、事実を集めればよいのではない。何が重要なのか(本質的な事実と枝葉のような事実を区別する)、だれもが信じていることが正しいのだろうかなど、考えながら事実を集めることが必要となる。シンプルな疑問を発することが問題発見に役立つこともある。

 それから、こうして集めた事実を論理(ロジック、セオリー)で組み立てるのである。国際交渉になると、これを英語で表現しなければならない。Facts × Logic × Englishである。重要なのはすべて掛け算だということである。いくら適切な事実を集めても、論理がゼロであれば、正しい答えに到達できないばかりか、それを周囲の人に伝えたり説得したりすることができなくなるので、零点となる。逆に、素晴らしい論理を持っていても、事実がゼロであれば、零点となる。


考える例

 例を挙げよう。私が参加した2002年APECの貿易大臣会合で、アメリカの通商代表はEUの遺伝子組み換え表示規制が厳しすぎてEUに輸出できないので、APECの貿易大臣全員でこれをやめさせるようEUに申し入れるべきだという提案を行ってきた。当時アメリカでは規制なし、日本の規制はEUほど厳しくはないというものだった。私はアメリカのことだからEUを攻撃すると次に日本を攻撃してくるだろうと考え、この提案を潰そうと考えた。

 このとき、私はAPECが二国間ではなく多数国間の交渉の場であることに着目し、日本に賛同する仲間の国を作ろうと考えた。APEC加盟国の表示規制を調べると、オーストラリア、ニュージーランドが日本と同様の規制を行っていることを発見した。この両国を味方につけるとともに議長国などに根回しをすることによって、アメリカを孤立させ、その提案を葬ることができた。多数国間の交渉の場という状況を考慮し、APEC加盟国の表示規制という事実を見つけたのである。

 もう一つ例を挙げよう。米の内外価格差は大変大きなものであるというのが常識だったし、今でもかなりの人がそう思っている。しかし、米といっても日本米のような短粒種、タイ米のような長粒種があり、その中でも品種によって大きな品質・価格の差がある。2003年WTO交渉で農産物には100%までの関税しか認めないという上限関税率の提案がアメリカやEUなどから行われたとき、日本の農業界は混乱した。100%の関税だと日本米は2倍以内の価格でないとアメリカ産米に太刀打ちできなくなる。当然日本は反対するという主張を行う。しかし、どこまでの関税なら許容できるのかを判断する前提として、実際本当の米の内外価格差はどのくらいなのかを知っている必要があるのだが、だれも把握していなかった。

 日本はミニマムアクセスの中のSBS方式により10万トンの枠内でアメリカ等から主食用の米を輸入していた。当然その輸入価格も把握していた。日本米と品質が近いものはこの米だった。しかし、農林水産省の幹部職員を含め誰一人として、この米の価格と日本米の価格(いずれも公表数字なので誰でも入手できる)を比較しようする人はいなかったのである。輸入米は精米トン当たりの価格で、国産米は玄米60キログラムあたりという違いはあるが、換算方法はあるので、比較しようとすればできた。私が計算すると、当時信じられていた5倍程度というものではなく、2倍程度だった。その後内外価格差はさらに縮小し、2014年には内外価格差が逆転するという事態も生じた。本当の内外価格差はどれだけなのだろうかという"シンプルな疑問"を発することさえできれば、このファクツの発見は簡単だった。

 そのためには、考えていなければならない。"ボーと生きている"だけでは、シンプルな疑問を発することはできない。


農業クイズ

 そのような観点から農業を見てみよう。


1.日本の次の地域を農業生産額の多い順に並べなさい。~九州、関東、東北、北海道

 このクイズについて、専業農家の人たちも含めほとんどの人が北海道を一番に挙げる。しかし、答えは、関東、九州、東北、北海道の順である。アメリカの人に、どの州が農業生産額が最も多いと思うかと聞くと、ほとんどの人が最も土地が肥沃で広大なコーンベルト地帯のアイオワを答える。しかし、二位を倍以上離してダントツの首位はカリフォルニアである。


2.世界最大の農産物輸出国はアメリカですが、10位までの過半を占めている地域があります。次から選びなさい。~ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカ

 答えは、土地が広いわけではないヨーロッパである。世界第二位の農産物輸出国は、九州ほどの大きさしかないオランダである。土地の広いオーストラリアは15位くらいでベストテンにも入らない。


3.牛肉の輸出国は、インド、ブラジル、アメリカ、オーストラリアですが、最大の輸入国は?

 答えは、アメリカである。農産物全体でもアメリカは世界最大の輸出国であると同時に、一位、二位を争う大輸入国である。


 以上のクイズに正しく答えられる人は少ないはずだ。我々の通念の多くは間違っているのである。では、なぜなのだろうか?

 広大な土地を持っている、北海道、アイオワ、オーストラリアがトップではなく、関東、カリフォルニア、オランダがその上に立つのはどうしてだろうか。北海道などが作っているのは、果樹、野菜、花など付加価値の高い農産物ではなく、トウモロコシ、大豆、小麦、イモ、ビートなど食品工業の原料農産物の比重が高いのである。土地が広いので低コスト生産はできるが、作っているものの価格は高くない。

 また、日本がトヨタ、ホンダなどを輸出し、ベンツ、プジョーなどを輸入しているように、品質の違いがあるときは、農産物の貿易も双方向である。牛肉だけでなく、米でもアメリカは350万トンの長粒種米を輸出しながら、80万トンのジャスミン米を輸入している。

 これらのクイズだけではなく、我々は、古いイメージにとらわれ、現実の農業や農村を知らない。農村は変わった。1970年では農家戸数の比率が70%以上の農業集落は全体の63%を占めていた。しかし、2015年では農家戸数の比率が10%未満の農業集落は全体の30%、10~30%は27%を占める。混住化が進み、農業集落で農家は少数派となっている。機械化が進み、1ヘクタール当たりに必要な年間労働日数は1951年の251日から2015年の29日に減少している。兼業収入の増加によって、1965年以降農家所得はサラリーマン世帯の所得を上回っている。農家はもう貧しい弱者ではない。2017年養豚農家の平均所得は2千万円である。

 こうしたファクツは、我々が正しい農業政策を考えるときの前提となる。


TPPと日米貿易交渉の中の農業

 TPP交渉は、アメリカのオバマ政権が壮大な構想を持って開始したものだった。その狙いは中国への新しいルールや規律の適用である。中国と同じ社会主義国で国有企業を多く持つベトナムを仮想中国と見立てて交渉し、偽造品の取引防止など知的財産権の保護、投資に際しての技術移転要求の禁止、国有企業と海外企業との間の同一の競争条件の確保などを新しく規定した(これらは現在のトランプ政権が中国に要求していることである。これらは全てTPPに規定されている。)。TPPのようなメガFTAが成立する場合取り残されると不利になるため、多くの国が参加する。やがて中国が参加せざるを得なくなったときに、TPPの新ルールを中国に適用しようとしたのである。

 アメリカの連邦議会がTPP協定を承認しないことが明らかになった2016年夏頃、私はアメリカ抜きのTPPを妥結するよう提案した。そうなれば、TPP加盟国の豪州は低い関税で日本に農産物を輸出できるのに対し、アメリカは高い関税を払わなければならなくなる。日本の農産物市場から駆逐されることを恐れるアメリカにTPPへ復帰させようと考えたのである。しかし、私の提案に対して、この時安倍首相は国会でアメリカ抜きのTPPは意味がないと答弁していた。

 しかし、翌年二国間交渉を要求するというトランプ政権の姿勢が明らかとなったとき、TPP以上の農産物市場開放を恐れた日本政府はアメリカ抜きのTPPを先行させ、アメリカ農産物を日本市場で不利に扱うことによって、アメリカが強く出られないようにしようと態度を変更した。こうしてできたのがTPP11である。日本政府が日米貿易交渉で日本の農産物譲歩をTPPの譲歩の範囲内に収めたのは、TPP11があったおかげだろう。TPP11は、大きな政策について私の提案が実現した初めてのケースとなった。

 TPPでアメリカは日本に対して7万トンの米の輸出枠を実現したのに、日米貿易交渉ではこれが合意されなかった。安倍政権はこれを日本政府の交渉の成果だと主張している。では、アメリカはなぜ真剣に要求しなかったのだろうか。

 日本米の価格が高ければ、アメリカから安い米を輸入して日本で売ると必ずもうかる。2009年までは先ほどのミニマムアクセス(SBS方式)米10万トンは100%消化されていた。しかし、日米の米の内外価格差が縮小する中で、2013年以降100%の年は1年だけで消化率は大きく低下している(特に2014年は12%)。10万トンの輸出枠さえ消化できないのに、新たに7万トンの枠を設定されても、アメリカの米業界はまったく利用できない。ファクツを押さえていれば、交渉相手の出方も読むことができる。


(後編に続く)

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