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2019.10.15

安倍首相は「トランプ・ファースト」を貫いた 米国はもうTPPに復帰しない〜日本が大幅譲歩を重ねた日米貿易交渉を総括する

論座 に掲載(2019年9月28日付)

  • 山下 一仁
  • 研究主幹
    山下 一仁
  • [研究分野]
    農業政策・貿易政策
「ウィンウィン」ではなく、トランプにとって「ウィン」

 9月25日、モノの貿易に関する日米の交渉が大筋合意し、両国首脳が共同声明に署名した。安倍首相は会談後の記者会見で「両国のすべての国民に利益をもたらすウィンウィンの合意となった」と自賛した。

 しかし、米中貿易戦争で離れかけていた中西部での農業票を繋ぎ止めることができたトランプ大統領にとってはウィンの合意だが、日本にとっても米国にとってもルーズの合意だ。

 米国の大統領選挙の勝敗を左右するスイングステイトの多くが中西部にある。ペンシルベニア、オハイオ、ミシガン、アイオワなどだ。中西部で勝たなければトランプの再選はない。

 その中西部はラストベルトであると同時に、コーンベルトと呼ばれる農業地域でもある。トランプとしては、伝統的に共和党を支持してきた農家を民主党候補に投票させるわけにはいかない。


不要な二国間交渉に応じた日本

 トランプがTPPから離脱したため、TPP11や日EU自由貿易協定によって、オーストラリア、カナダ、デンマークなどの牛肉や豚肉に対する日本の関税が、米国産よりも低くなった。これらの米国産業が日本市場への輸出を減少させ、打撃を受ければ、これらにエサとして大豆、トウモロコシを供給する中西部の農家も打撃を受ける。

 TPPに復帰すれば問題は解消するが、トランプはTPPはひどい合意だと主張してTPPから離脱したため、日米FTA交渉をするしかない。

 一方、日本は日米FTAがなくても今まで通り米国に自動車を輸出できるので、日本にとって日米FTAは必要なかった。  しかし、日本は、米国が通商拡大法232条を利用して安全保障の観点から自動車への追加関税を行うということに過敏に反応して、日米FTA交渉に応じた。

 自動車の追加関税ができるとは思わない。同じく安全保障上の理由から鉄鋼については関税を引き上げたが、原料として使われるだけの鉄と最終消費財として多くの米国国民に購入される自動車とは全く異なる。自動車については就任後2年以上を経過した今年の5月に決定の時期を迎えたが、それをさらに180日先送りしている。

 ドイツ、フランス、スウェーデンなどの自動車産業を抱えるEUも、当初自動車への追加関税を避けるために米国と関税撤廃に向けた通商交渉を行うことに合意した。交渉を行っている間は追加関税をかけないことをトランプが約束したからだ。日本が二国間交渉に応じたのは、このEUの行動を見たからである。

 しかし、その後の状況から、米国が追加関税を発動できないという事情を見透かしたEUは、未だに米国との交渉を開始していない。


日本マスコミは大本営発表のまま報道

 今回の交渉で、牛肉・豚肉など中西部の農家対策に、安倍首相は満額回答した。

 TPPから勝手に脱退して米国産農産物を不利に扱わせるようにしたのち、日米交渉をして、その不利を是正するという、まったくのトランプによるマッチポンプの行動なのだが、米国農業界は諸手を挙げてトランプを称賛しているという。

 そのうえ、忖度に長けた安倍首相は余剰トウモロコシまで買う約束をしてくれた。

 TPP交渉では譲歩したバターなどの乳製品やコメについての低関税の輸入枠を見送ったことを日本政府は成果とし、一部のマスコミはこの大本営発表を額面通りに受け止めて報道している。

 しかし、TPP交渉では譲歩したバターなど乳製品の輸入枠はTPP加盟国すべてに解放されたものである。これらの品目の輸出競争力があるのは、TPP加盟国でもニュージーランドやオーストラリアであって、米国ではない。この輸入枠は、米国酪農・乳業界には、活用できないものだった。

 コメは現在の無税枠10万トンすら満足に消化していない。これにTPP合意と同じく7万トンの米国向けの輸入枠を設定されても、米国のコメ業界は全く活用できない。政治的にも、日本に米を輸出しているカリフォルニアは民主党が必ず勝つ州(ブルーステイト)で、トランプがコメ業界のために頑張っても、再選にはつながらない。

 TPPで撤廃することを約束した米国の2.5%の自動車関税は、今回将来的に撤廃すると記述されたが、少なくとも来年の選挙まで撤廃されないだろう。2.5%は小さいように見えるが、日本が輸出しているのはレクサスなどの高級車なので、年間10億ドル(1100億円)の関税負担となっている。日本はTPP並みの譲歩も引き出せなかった。トランプが中西部の自動車産業の票が減少することを嫌ったからだ。

 そればかりか、安倍首相は日本の自動車企業の工場立地計画まで示して、トランプの歓心を買おうとした。これも中西部向けの選挙対策だ。


米国はもうTPPに復帰しない

 トランプは、大統領選挙で有力な相手方となる民主党バイデン候補のウクライナでの裏工作を暴くため、ウクライナの大統領に圧力をかけなければならなかった。

 しかし、日本の首相は、トランプが指示しなくても、トランプの気持ちを忖度して、進んで選挙対策をやってくれる。

 サービス、投資、知的財産権などを含む包括的な自由貿易協定なら連邦議会の承認に時間がとられ、とても大統領選挙に間に合わない。モノの貿易に限定する自由貿易協定なら連邦議会の承認を必要としない。

 日本はこれに応じた。というより、野党やマスコミから、二国間交渉となれば、サービス貿易や投資などを含む交渉となり日本は不利になるのではないかという批判を受けた安倍政権は、交渉に入る前提として、自ら物品貿易協定(TAG)なる用語を作り出して、モノの貿易に限定する自由貿易協定なら対応すると米国に申し出たのである。

 ところが、トランプは、今回の貿易協定を「第一段階」と位置付けた上で、「かなり近い将来(サービス貿易や投資などを含む)最終的な包括協定にしたい」との期待を表明した。これは、ホワイトハウスが出したプレスリリースでも明確に書かれている。日本の野党は、それ見たことかと攻勢に出るだろう。

 安倍首相がTAGに限るのだとトランプに主張することは、もうできなくなっている。日米共同声明には「日米両国は、(中略)互恵的で公正かつ相互的な貿易を促進するため、関税や他の貿易上の制約、サービス貿易や投資に係る障壁、その他の課題についての交渉を開始する意図である」とはっきり書かれてしまっている。野党やマスコミが指摘した通りの二国間交渉となる。次の段階以降の交渉では、農産物関税というカードはもう使えない。日本は押しまくられるだけの惨めな交渉となる。

 米国が、日米二国間の協定ではなく、技術の強制的移転要求の禁止、知的財産の保護、国有企業への規制など米中貿易戦争で米国が中国に要求している問題点を網羅しているTPPへ復帰すれば、中国をTPPに加わらせるよう圧力を加えることができ、世界経済にとってメリットがあった。

 しかし、今回の合意で米国は日本市場での農産物の不利性を是正することができた。十分に満足した米国は、TPPに復帰しようとはしないだろう。

 トランプは勝利した。しかし、米国は敗北した。


トランプ・ファーストは日本の国益?

 二国間協定の締結は、さまざまな国際会議で安倍首相が得意げに見得を切る「多国間自由貿易体制を強化する」という主張にも反する。

 多国間主義を唱えるのであれば、あくまでも米国にTPP復帰を唱えるべきだった。米国以外の国には多国間主義を唱え、米国にはその要求に屈して二国間の取引に応じる。そのような国を世界はどのように見るのだろうか?

 安倍首相ばかりか、その演説草稿を書いている総理官邸の役人たちも、自分たちの言っていることとやっていることが矛盾していることに気が付かないようだ。

 安倍首相はすべてを投げ出して、米国史上これほどスキャンダルにまみれている大統領はいないと思われるトランプの再選に協力している。

 ロシア疑惑をめぐってトランプには捜査妨害の疑いがかけられている。それなのに、トランプが大統領職にあるのは、現職の大統領は訴追されないという司法省の不文律があるからである。これは、ロシア疑惑を捜査したムラー特別検察官も明確に述べている。

 トランプが大統領選挙で負ければ、トランプは逮捕・訴追される。トランプが大統領選挙に真剣になるのは、このような事態を避けるためだ。このような恥辱にまみれた大統領の選挙運動まで買って出ている首相がいることを、日本国民は誇りに思うべきなのだろうか?

 かつて中曽根・レーガンという個人的にも親しい首脳関係があったが、同時期に行われた日米牛肉・かんきつ交渉は両首脳がともに政権にあった期間を超え、10年もかかってようやく終了した。牛肉・かんきつの輸入制限措置が日本にとって国益だったとは思わないが、中曽根氏はレーガンの歓心を買うために、牛肉・かんきつ交渉で譲歩しろと農林水産大臣に指示をすることはなかった。

 トランプは、アメリカ・ファーストだと言う。しかし、安倍首相は、アメリカ・ファーストではなく、トランプ・ファーストに徹することが、日本の国益にかなうと考えているようだ。

 民主党政権が誕生したら、米国は、はばかることなく対立候補の選挙応援をした日本をどのような目でみるのだろうか?

 すくなくとも、民主党の大統領は日米関係を世界で最も重要な二国間関係だと言ってくれそうにはない。

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