本文へスキップ

2019.07.16

「温暖化物語」を修正すべし

NPO法人 国際環境経済研究所HPに掲載(2019年7月1日)

  • 杉山 大志
  • 研究主幹
    杉山 大志
  • [研究分野]
    資源・エネルギー、環境

 地球温暖化問題というと、以下の「物語」が共有されている。「地球温暖化が起きている。このままだと、地球の生態系は破壊され、災害が増大して人間生活は大きな悪影響を受ける。温暖化の原因となっているのは、化石燃料を燃やすことで発生するCO2であり、これを大幅に削減することが必要だ。パリ協定では2度以下に温度上昇を抑えることが国際合意され、日本政府はこれに向けて2050年までにCO2排出量を80%削減する。温暖化対策は待ったなしの状態である」。

 この「物語」に沿って、政府は予算を獲得する。温暖化対策を名目とした予算は、あらゆる省庁や自治体に存在する。どの計画を見ても、枕詞は同じで、冒頭の「物語」がまず書き込まれ、その後で、必要な政策や予算措置が列挙される。

 研究者も、この「物語」に沿って予算を獲得する。どの研究提案書を見ても、冒頭の「物語」がまずあって、その後で、実験計画や人員、必要な予算措置が書いてある。

 このような政府と研究者の利権構造が出来上がると、「物語」は繰り返し反復されて、強化されてゆく。人はその性として、頻々と同じ物語に接すると、それが本当だと信じるようになる。もしくは、本当は信じていなくても、信じているふりをしている方が、生きていくのが容易になる。

 温暖化問題を専門とする研究者は、この社会学的構造からは滅多に抜け出せない。それで「物語」をせっせと再生産するようになる。ところが、それを書いている研究者は、その「物語」を自力で検証したわけではない。温暖化問題は、自然科学、工学、経済学等、広範な領域にわたる。のみならず、それぞれの領域も細分化されていて、自分の専門領域以外のことは、相当に頑張って勉強しないと分からず、殆どの研究者は何も知らない。そこで、他の研究領域については「物語」を使って説明し、自分はその文脈で研究をします、という言い方をする。

 だがこうすることで、2つの罪を犯している。第1は、その物語を反復したことで、その物語の科学的真偽を問うことなく、その物語を強化する罪である。第2は、その物語に合うようなバイアスを受けた研究報告を書き、メディア発表をすることである。いずれも、科学のモラルに反するものであり、科学の進歩という観点からは有罪だ。もしも、どの分野にも、適切なガバナンスが働いていて、バイアスを受けた研究報告が排除されるならばよい。しかし現実にはそうなっていない。現実はこうだ: 「物語」に合う研究は政府プログラムで採択されやすく、論文も主要論文誌に乗りやすい。「物語」に反するならば、その逆であり、研究者は己のキャリアを苦難の道に曝すことになる。

 勿論、「物語」が真実ならば問題はない。しかし実際には、この「物語」には問題が多い。そもそも、この「物語」が繰り返し語られ始めたのは、1990年のIPCC報告書が出たころである。それ以来、ほとんどこの物語の主な内容は変わらない:「①温暖化は起きていて、②危険で、③人間のCO2によるものであり、④待ったなしの大幅排出削減が必要だ」、ということだ。しかし、考えてみてほしい。1990年以来、もう30年も経つ。その間、地球科学、生態系等に関する科学的知見は随分と深まった。その一方で、過去の温暖化に対して人間は何の問題もなく(というより、気づくこともなく)適応してきた。それなのに、「物語」だけは全く変わらないのはなぜか?

 「物語」が共有されるメカニズムは、前述の利権構造だけではない。人間は「物語」を共有することで、団結を強める傾向がある。石器時代の人間は、150人ほどの血族集団を作って暮らしていた。そこでは、実に長い時間と労力をかけて、物語の共有が行われてきた。先祖代々の名前や、闘いの歴史など、歌や踊りと一緒に、毎日何時間もかけて物語が共有された。これには莫大な時間が投じられるが、そのことは、それが如何に進化論的に見て引き合うものだったかを示している。物語による団結の強化という伝統は、一神教にも引き継がれ、聖書等でも先祖代々の物語などが語られ、共有された。

 地球温暖化の物語は、メディアで、シンポジウムで繰り返し共有される。同じ物語を語る仲間内で団結は高まり、それに反することを言えば、団結を乱すものとされる。1990年以来の展開を翻ってみると、そこで起きてきたことは、繰り返し語られ制度化されることによる物語の強化という社会学的なプロセスであった。実際には、温暖化に関する自然科学の知見は蓄積され、よく検討するならば、あらゆる側面において「物語」には疑義が生じてきたのに、修正されずに今日に至っている。

 では温暖化の科学的知見はいま、どうなっているのか。まず、


① 温暖化はゆっくりとしか起きていない。

 温暖化の進行は、1990年に予言されていた速さ(100年で3度、誤差幅は2~5度)に比べると、ゆっくりとしている。温度上昇のペースは、せいぜい100年で1.5℃程度の速さであった。とくに、2000年以降2013年迄はハイエイタス(停滞)と呼ばれ、温度は上昇しなかった。その後エルニーニョ現象で温度はいったん上がったが、2017年、2018年にはまた下がった。(参照:「史上4番目に暑かった2018年」の後はどうなるのか?


② 温暖化は危険ではない

 現在程度の速さの温暖化は、過去に自然変動で起きてきたものと大差ない。それに、過去100年に起きた温暖化では、何の被害もなく、人類は空前の繁栄を享受した。1990年ごろには、大西洋の海流大循環が激変するといった可能性も示唆されたが、これは起きそうにないことがその後の研究で解っている。あれこれの仮説が出されて心配されたけれども、よく検証すると、さほど温暖化は危険でないのだ。


③ 温暖化は人為的CO2にもよるが、それ以外の要因も大きく、よく分かっていない。

 化石燃料燃焼によるCO2などの温室効果ガス排出が温暖化の要因の一部であることは確かである。しかし、IPCCによる気候のシミュレーション(巨大な天気予報のようなもの)は、自身が認めているように科学的不確実性はとても大きい。人為的CO2による温暖化が起きたとされるのは1950年以降だが、それ以前にも地球は結構な速さで温暖化していた。欧州では小氷期といって氷河が発達した時期があり、それが後退し続けて現在に至っている注1)。海洋の内部変動か、太陽磁場の変動の気候への影響が大きな因子かもしれない。いずれにせよシミュレーションは、一連の過去の変化を全然再現できておらず、地球の気候の複雑さを表現できていない。したがって将来の予言も不確かである注2)


④ 大幅排出削減は待ったなしではない。

 一連の物語は、結局はこの「待ったなし」を言うことが眼目である。そうしないと政府予算も研究予算もなかなか付かないからだ。しかし、科学的知見は分からないことだらけであるのに対して、じつは温暖化ではたいした被害は起きなかったし、今後についてもさしたる危険は迫っていないことも分かってきた。その一方で、大規模な排出削減というのは、大変な費用を伴うことははっきりしている。いまの日本は再生可能エネルギー導入の賦課金だけで年間2兆円を超え、これは電気料金に乗せて国民から徴収されている。

 もちろん、科学的知見に分からないことが多い以上、ある程度用心深くなることは良い。安価な範囲で排出削減を進め、また、将来には大規模かつ安価に削減できるように技術開発をしておくと良い(その結果として、幸運であれば80%削減もできるかもしれない)。しかし、経済停滞が長く続いてきた日本で、中国の台頭に抗して自由と平和を守るために一層の国力が必要とされている今のタイミングにおいて、経済的損失を顧みることなく大規模な排出削減をするというのであれば、それは間違いだ。

 いま必要なことは、「物語」を、過去30年の知見の蓄積を科学的に(政治的にではなく)踏まえて、修正する試みである。そうすると、新しい「物語」はこうなるだろう: 「温暖化はゆっくりとしか起きていない。温暖化の理由の一部はCO2だが、その程度も温暖化の本当の理由も分かっていない。過去、温暖化による被害は殆ど生じなかった。今後についても、さしたる危険は迫っていない。――温暖化対策としては、技術開発を軸として、排出削減は安価な範囲に留めることが適切だ」注3)

 科学者は科学を貫いて、時には一身を賭して権威・権力と対決しなければならないことがある。それが長い目で見て人類の繁栄をもたらした。ガリレオもダーウィンも然り。既存の「物語」を疑わずにぶら下がり、安逸をむさぼるのは科学に対する犯罪である。


<脚注>

注1)小氷期の欧州における猛烈な寒さについては(ヴォルフガング ベーリンガー, 2014)

注2)IPCCの気候シミュレーションは物理過程を表現できておらず、過去の気候も再現できておらず、従って将来予測能力は乏しい、とするものとして、(Mulargia, Visconti, & Geller, 2018)。これらのシミュレーションが、「CO2が原因で温暖化が起きている」という形に「チューニング」で教え込まれていることを明らかにしたものとして、(Hourdin et al., 2017)。チューニングが行われている証拠として、複数のモデルを比較すると、気候感度と放射強制力が反比例関係にあることが発見されている(Kiehl, 2007) Figure 1。これは、20世紀の温暖化が温室効果ガス(およびエアロゾル)によって実現するようにチューニングした結果である。"Note that the range in total anthropogenic forcing is slightly over a factor of 2, which is the same order as the uncertainty in climate sensitivity. These results explain to a large degree why models with such diverse climate sensitivities can all simulate the global anomaly in surface temperature. The magnitude of applied anthropogenic total forcing compensates for the model sensitivity

注3)いま人口に膾炙している「温暖化物語」が、温暖化の予測から、環境影響予測まで、殆ど全て誤りないし根拠が無いと論じるものとして、(Lindzen, 2016)(Lindzen, 2017)。著者のMIT Lindzen教授は気候科学研究の権威。


<参考文献> 

・  Hourdin, F., Mauritsen, T., Gettelman, A., Golaz, J. C., Balaji, V., Duan, Q., ... Williamson, D. (2017). The art and science of climate model tuning. Bulletin of the American Meteorological Society, 98(3), 589-602. https://doi.org/10.1175/BAMS-D-15-00135.1

・  Kiehl, J. T. (2007). Twentieth century climate model response and climate sensitivity. Geophysical Research Letters, 34(22), L22710. https://doi.org/10.1029/2007GL031383

・  Lindzen, R. (2016). GLOBAL WARMING and the irrelevance of science The Global Warming Policy Foundation. Retrieved June 5, 2019, from https://www.thegwpf.org/content/uploads/2016/04/Lindzen.pdf

・  Lindzen, R. (2017). Straight Talk About Climate Change. Academic Quest, 30, 419-432.

・  Mulargia, F., Visconti, G., & Geller, R. J. (2018, January 1). Scientific principles and public policy. Earth-Science Reviews. Elsevier. https://doi.org/10.1016/j.earscirev.2017.09.007

・  ヴォルフガング ベーリンガー. (2014). 気候の文化史 氷期から地球温暖化まで. 丸善プラネット.


杉山 大志 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

杉山 大志 その他コラム・メディア掲載/論文・レポートをもっと見る

資源・エネルギー、環境 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

コラム・論文一覧へもどる