DC道場フェロー・レポート(下院編・11月16日)

 かつて安倍晋三代議士が官房長官~総理大臣であった頃、首相直轄の対外情報機関や、米国のNSC(国家安全保障会議)に倣った日本版NSCを設置しようという構想を検討したことがあった。どちらもいつの間にか立ち消えになっているが、2010年の秋には民主党でも「インテリジェンス機能強化推進議員連盟」というものが立ち上がっている。設立趣意書を読むと、「我が国のインテリジェンス機能は各省庁に分散し組織的統一性に欠け、極めて脆弱な体質にある」と記されている。幼少のみぎりから時代劇「大江戸捜査網」で活躍する隠密同心に心を躍らせ、我が国のインテリジェンス機能の脆弱さに独り密かに心を痛めてきた私にしてみれば、この種の議論が国会議員の間で論じられるようになったという事実だけでも、相当の前進に感じられる。

 
 外交・安全保障の専門家の中でも意見が分かれており、「インテリジェンスが機能していないから、日本の外交は成果を挙げられないのだ」という方々もいれば、「日本にインテリジェンス機能は必要ない」と言い切る方々までいろいろとおられる。両極端な議論であるが、どちらにも一理あると思う。「必要」論者の根拠は、外交戦略策定の前提となる情報の収集・分析能力は不可欠ということであり、他方「不要」論者の根拠は、現在の日本が外国に向けて何かを仕掛けるようなことは起こり得ないし、そもそも外交戦略もそれに必要な情報も全てアメリカ依存でやってきたではないか、というものである。私見を申し上げれば、バイアスのかかっていない情報の収集・分析という機能は必要だと思うし、同時に情報の保全のためのカウンターインテリジェンス機能も必要だと思う。カウンターインテリジェンス機能の欠落こそ、同盟国に迷惑をかけるのではないだろうか。かつてNIC(米国の国家情報会議:インテリジェンスコミュニティから上がる情報を基に、中長期の予測を行う合衆国大統領の諮問機関)において上席分析官を務めていた方のお話を伺う機会があったが、カウンターインテリジェンスにおいては外国の諜報員による浸透を見極めるために膨大な努力の継続が必要であり、これは国民の安全のためにやらねばならないと言っていた。「汚染された情報機関よりは、情報機関が無い方がまし」という程、ダメージは大きなものだ。例えばインテリジェンス機関や軍の職員で急に羽振りが良くなった者がいれば、必ず調査をかけるという。他国に金で国家機密を売り渡している疑惑があるというわけだ。この種の監視活動は、日本の警視庁や公安調査庁も非常に頑張っており、その地道な作業の集積には目を見張るものがある。しかし悲しい哉、機密情報の保護に関する法律が無いために、せいぜい「お前が諜報員ということは分かっているぞ」という何らかのメッセージを送る等の嫌がらせ位しかできないという。日本はスパイ天国と揶揄される所以である。公安調査庁には、捜査権すらない。


 冒頭に述べた民主党の議連設立趣意書にあるように、我が国のインテリジェンス機能が各省庁に分散しているから、これを総理大臣直轄で統一的に運用できるようにすべし、という議論はよくある。確かにそんな組織があれば理想的だが、よく引き合いに出される米・英・露、或いはイスラエルにおいても、そのような理想の組織は無い。やはり、情報機関は政府の機関、警察の機関、軍の機関と分かれており、軍にあっては陸海空それぞれ別個に持っていたりする。そしてそれぞれが、「この核心情報は共有したくない、直接政治のトップに耳に入れたい」というようなことを考えるのは自然の成り行きで、米国のNSCと雖も、インテリジェンスコミュニティが持つ全ての情報を統合して最良の回答を導き出しているとは言い難い。元NICの上席分析官に言わせると、或る一つの問題に対してそれぞれの機関から上がってくる情報、或いは分析結果が全く違っていることがしばしばあり、それは恣意的な場合もあるだろうし、峻別は非常に難儀であるとのことだ。しかしながら9.11以降、ある程度の情報共有や協働体制は整えてきており、分析官は各機関の情報にアクセスする権限を与えられている。但し彼の考えではまだ共有は不十分であり、改善の余地はある。一方でウィキリークスに見られるように、アクセス権限を持つ人間を大幅に増やした結果、情報漏えいのリスクも増大している。


 インテリジェンスについて考える際に、もう一つの重要な点がある。国が行う情報活動の場合、カスタマーは政治家である。どんなに良いインテリジェンスを意思決定者にもたらしても、その価値を理解し且つ己の政治生命を懸けてでも正しいと思われる政策を実行するような、賢明で腹の座った人物が政治サイドにいなければ、情報機関は宝の持ち腐れとなってしまう。大江戸捜査網の隠密同心達が「隠密同心、心得の条。我が命我が物と思わず、武門の儀、あくまで陰にて己の器量伏し、ご下命如何にても果すべし。なお、死して屍拾う者なし。」という命懸けの活躍が出来るのは、時の老中・松平定信がその機能の必要性を理解し、旗本寄合席・内藤勘解由と共に一切の政治的リスクを引き受けていればこそである。また、昨今は何でもすぐに費用対効果を求める風潮があり、国家と国民の将来のために必要なものでも事業仕訳によって悪者扱いされてしまうが、インテリジェンス活動に費用対効果を求めてはいけないと思う。「情報活動は錯誤の葬列」と喝破したジャーナリストがいたが、蓋し名言である。情報の洪水と言われる現代において、その中から未来を指し示すような兆候を読み取るというのは至難の業だ。私が時折教えを乞う某国の元インテリジェンス・オフィサーは、「情報の洪水が溢れているが、得てして洪水の水は飲めない」と述懐していた。


 1973年の第4次中東戦争において、イスラエルの首相・ゴルダ・メイアは軍の情報機関であるアマンの情報を信頼し、モサドからの情報を黙殺したことで、初戦でエジプト・シリア連合軍の奇襲を受けてシナイ半島の防衛線を突破され、建国以来の危機に瀕した。その際にイスラエルは、核爆弾の使用を決意したという話がある。ネゲブ砂漠(イスラエルの原子力センターがある)を進むトレーラーの車輪が半分以上も砂に埋まっているのを見たCIAのエージェントが、「これは核弾頭の輸送である」ということを突き止めた。報告を受けた米国は、ソ連に対してエジプトに向けた核弾頭の輸出を促したという。双方が核弾頭を有して動きが取れなくなった時に、当時の米国大統領補佐官・キッシンジャーが和平交渉に乗り出した。この話によれば、インテリジェンスの在り様がよく分かる。政治サイドが正しい情報に基づいて意思決定できなかった場合は悲劇的な結果を招くが、優れたインテリジェンス活動によって最悪の危機を免れることもできる。


 こうした事柄を全て考えあわせた上で、我が国の情報機関の在り方を考えてみたい。単に既存の情報機関を一ヶ所に集めてみても、それぞれの機関の省益やら政治家の思惑やらで、ただの箱となってしまいかねない。先ず必要なことは、日本にある既存の情報機関の能力を一層強化することである。既に述べたように、日本のカウンターインテリジェンスの各機関は決して眠ってなどいないどころか、特定のアジア地域に関しては極めて優秀である。ただ、人員不足・予算不足であることは否めないし、活動の後ろ盾となる法整備も全くなっていない。思うように海外とのチャンネル作りもできておらず、たまたま語学のできる人材等が個人の努力で属人的に行っているケースが多い。DCでもコツコツと倦まず弛まず活動している日本の情報機関員に出会うことがあるが、本当に頭が下がる。そしてもう一つは、政治家に対してインテリジェンスの重要性を教育することと、彼らにセキュリティクリアランスを施すことも必要だ。かつて地下に潜って独自の活動をしていた或る老インテリジェンス・オフィサーは、「政治家の先生方はやたら情報を欲しがりますが、口が軽くていけない。」と呟いていた。情報保全の法整備をする際には、政治家であっても禁を犯せば厳格なペナルティが課されるようにしなければいけない。そして、そのような努力を重ねても、それらがすぐに国益に結びつくという保証はない。世界に冠たるインテリジェンス大国のイギリスが、MI6の不眠不休の活躍をもってしても国家の衰退は止められないのだ。しかし、軍備に関して「百年兵を養うは、この一日の為にあり」という気持ちで取り組むのと同様、インテリジェンスも長い目で養成しなければならない。 (了)

(柄山直樹 PAC道場第2期生)

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