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2014.05.15

ウクライナ問題について その4

シリーズコラム『小手川大助通信』

  • 小手川 大助
  • 研究主幹
    小手川 大助
  • [研究分野]
    海外情報・ネットワーク

1.5月8日のニュース

 8日朝のニュースによれば、プーチン大統領は7日、欧州安保協力機構(OSCE)議長国スイスのプルカルテール大統領とウクライナ情勢について意見交換を行い、その後の会見で「最も重要なことは、ウクライナの現政権と東部南部の住民の率直な対話を始め、彼らの法的権利を保障することだ」と強調し、対話の条件を整えるために、「11日の住民投票を延期するよう要請する」と親ロシア派に求めた。

 これを受けて今朝のBBCのニュースでは「プーチンが経済制裁の脅しにひるんだ」との見方を示していたが、これは全くの誤りである。


2.対ロシア制裁が効かない理由については、5月4日のアナトール・カレツキー氏のロイターでの論文が極めて明快に述べているが、4月27日から5月4日まで訪ロした筆者もカレツキー氏の考え方に全く賛成である。

(1)西側のメディアは、我が国を含め、ルーブル安に伴う物価上昇やロシアからの資本の流出を強調して、あたかも経済制裁がロシアにだけ影響を与えるような報道ぶりである。確かにロシア経済に一定の影響があることを筆者も否定しないが、仮にロシアが反撃として欧米に対する経済制裁に乗り出した場合には以下のような影響が考えられる。

(2)カレツキー氏も指摘している通り、ロシアは他の中所得国と比べ国際競争から国内産業を保護しておらず、その市場は極めて開放的なものとなっている。これはロシアの主要都市を訪問すれば一目瞭然である。ホテル業界を見ても、モスクワの主要ホテルは、リッツ・カールトン、ケンピンスキー、シェラトン、ハイアット、ロッテと西側のホテルチェーンが目白押しである(ちなみにハイアットはオバマ政権の商務長官が社長を務める系列である)。VISAはロシア国内で毎年10億ドルの利益を出している。ブリティッシュ・ペトロリアムはロシア国内で2つの大きなジョイントベンチャーを維持し、ロシアの石油産業の重要な一角を形成している。このほか、米国、ドイツの企業を中心に西側の企業による対ロシア直接投資は莫大な額に上っており、ロシアが経済封鎖をした場合の西側企業に対する影響は極めて大きなものとなろう。逆にロシア企業の欧米に対する投資ということになると、企業ベースでは主要なものは見つけられない。

(3)個人ベースではロシアの富豪は海外に投資を行っており、有名なものとしてはプレミアリーグの所有者となったロシアのオリガルヒなどがあげられる。また、ロンドンの金融機関及び不動産業界はロシア富豪の投資で成り立っている面が大きい。仮に経済制裁がこれらの富豪に対して発動された場合、少数の英国籍を取得している人々を除いて、カレツキー氏の主張の通り、彼らは資産をロシアへ戻さざるを得なくなり、ロンドンの金融機関や不動産業界は相当な影響を被る一方、ロシア経済にはプラスの効果となり、プーチン氏に有利に働くこととなる。


3.更に、ロシアは、イランや中東の産油国と異なり、石油や天然ガスの輸出だけで食っているのではないことに注意する必要がある。勿論石油に対する超過課税がロシア政府の主要な歳入であるという面から石油輸出が重要であることに変わりはないが、このほかにもニッケルやチタンといった鉱物を大量に輸出している。チタンの主要輸出先はボーイング社であり、ボーイング社はロシアに1991年に事業を立ち上げてから70億ドルの投資を行ってきており、チタンを180億ドル購入する計画になっており、仮にこれらの輸入が停止する場合には、同社の航空機製造にも大きな影響が及ぶ。


4.一部で問題にされているルーブル安についても、今年に入ってから10%程度下がってはいるものの、最低であった2012年1月や9月と比べると相当高い水準にある。筆者もロシア訪問を前にして噂を信じてルーブル安による個人的な利益を当てにした面があったが、モスクワを訪問して、残念ながらそのようなことは全く感じられなかった。

 それよりも、今回の訪ロで驚かされたのは、ロシア国内の愛国精神の明らかな台頭である。アメリカに行くと、玄関先に時折星条旗を掲げている家が垣間見られて、そのようなことがない日本から来た私のようなものは驚かされたのであるが、ロシアも基本的に我が国と同じで、ロシア国旗を玄関先に掲げている家は全く見られなかった。

 ところが今回の訪問では、私の旧知のバレエダンサーたちの家も含めてほとんどの家にロシア国旗が掲げられていて、驚かされたものである。そして一般人である友人達と話しても、彼らは米ロの間で全面戦争が始まるのではないかということを真剣に恐れており、私に真剣な面持ちで、現在の状況を聞いてきたものである。この背景としては以下のことが考えられる。

(1)ロシアは第2次大戦で国土の主要部分をドイツ軍に蹂躙され、世界最大の犠牲者を出した国である。自国を戦場として多大の人的被害を被った国として、ロシア人の間の反戦意識は極めて高い。現在の世代も、戦争の悲惨さは父母や祖父母から詳しく聞いている。ちなみに旧ソ連時代でも、反米プロパガンダの面はあるにせよ、広島と長崎への原爆投下の人道上の問題性を小学校の教科書で強く指摘していたのはロシアであり、これが同国での親日の根底になっている。

(2)ウクライナとロシアの国境からモスクワまでは約400キロメートルで、我が国でいえば東京から米原程度である。ウクライナにはロシア人の親戚や友人が多数住んでおり、彼らから日常的に現在起こっていることの報告が入っている。この点は、仮定であるが、例えば、ワシントンから400キロメートルしかないところに、アメリカとメキシコの国境があり、メキシコに親ロの政権ができて、反ロのNATOのような軍事基地が設立できる状況になれば米国はどう反応するかということを考えてみればわかりやすいと思われる。今回の訪ロの際に、私は旧友である指揮者のゲルギエフにお願いして、ロシア政府の要人夫婦をイースターコンサートに招待したが、コンサートの休憩中にオデッサの悲惨な殺戮のニュースが入り、夫人は涙を流して状況を心配していた。

(3)ロシア人は共産主義時代に長い孤立の時代を過ごしている。そのような孤立感を味わった国の習いで、自らの生存に危害が及ばない限り、その他の問題についてはできる限り我慢はするものの、生存が脅かされるような状況になれば、断固として戦うというところが観察できる。


5.それでは、そのような状況に関わらず、なぜプーチンは上記のような要請を行ったのであろうか。

(1)私の推測では、プーチンは米国を相手にせずに欧州を相手にして事態の鎮静化を図ろうとしているのではないかと思われる。今回の訪ロの際にロシア側の政府要人たちが何度も繰り返したのは、「米国は信頼できない」という言葉である。それに対して、欧州は2月21日のヤヌコーヴィチ政権と反対派との間の合意の証人をドイツ、フランス、ポーランドの外務大臣が務めたことからも明らかなように、ロシアとの密接な関係もあり、一定の信頼関係があるのではないかと考えられる。KGB時代に東ドイツで勤務していたプーチンのドイツ語能力と、東ドイツの秀才であったメルケルのロシア語能力の高さはよく知られた事実である。

(2)米国についてはシリア問題でオバマ政権が窮地に陥った際に、アサド政権による化学兵器の放棄という形でロシアが助け舟を出したのに、米国として協定上の防衛義務も戦略的利益もないウクライナについて手を突っ込んできたということについて、プーチン以下の深い不信感がある。これにはオレンジ革命や、2008年の北京オリンピックの際に発生したグルジア紛争に対する米国の関与も影を落としている。4月17日のジュネーブ合意のすぐ後の週末にCIA長官のジョン・ブレナンが変装をしてキエフを訪問し、現政権にねじを巻いた結果なのか、その次の週に現政権が挑発行為を行ったことは、益々不信感を助長するものとなった。最近のドイツのビルト紙に報道されたように、直近の東ウクライナへの鎮圧部隊とキエフの間では英語で交信がされており、少なくともキエフの米国の関係者が関与していることは間違いないとみられている。情報筋によれば、彼らは「戦争アドバイザー」と呼ばれる米国の民間の戦争屋ではないかということである。5月3日のメルケル首相の訪米を前にして、前述のオデッサの悲劇を含めてウクライナ各地に起こった事件には、メルケルに圧力をかけるために意図的に起された挑発行動があったものと見られている。

(3)以上のような状況を踏まえて、プーチンは、国内の愛国精神にも拘らず、いわば最後の賭けをしたのではないかと考えられる。即ち、米国はどうしようもないにしても、今回の問題を外交的に解決するべく、彼として譲りうる最後の線を提示して、西側の良識にかけたのではないかと思われる。もしそうであれば、このようなプーチンの対応を「ひるんだ」と見るのは全くの誤りで、西側は、ロシアの実力行使を防ぐ最後の一戦として、適切に対応する必要がある。

(4)背景として頭に置いておく必要があるのは、軍事力の大きな差である。欧州はリーマンショック以降の財政引締めの中で主として軍事費を大幅に削減して辻褄を合わせてきた。その結果、欧州諸国の軍事力は大幅に低下し、ロシアとは比較できない状況になっている。よく出される例が、リビアの空爆を米、英、仏が共同で行った際に、英と仏の爆弾は2日間で枯渇したという事実である。ロシアが圧倒的な軍事力を持ち、国内世論の全面的支持もある中で上記のような提案を行ったことの重要性を認識することが極めて重要な局面であると考えられる。

(5)次回はなぜ米国が今回のような対応をしたのか、その原因を探ってみることとしたい。

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