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2012.07.18

現在の経済危機について(7):欧州経済バブルが生じた背景 その3

シリーズコラム『小手川大助通信』

  • 小手川 大助
  • 研究主幹
    小手川 大助
  • [研究分野]
    海外情報・ネットワーク

現在の経済危機について(5):欧州経済バブルが生じた背景 その1

現在の経済危機について(6):欧州経済バブルが生じた背景 その2 <続き>



1. リーマンショックの影響その4 アイルランド

(1)アイルランドの人口はギリシャの約半分の600万人、ポルトガルの人口はギリシャとほぼ同じです。2011年の11月11日にはこの2国に加え、スペインとイタリアまでも市場の攻撃を受けました。きっかけは、またもドイツの政治家の発言でした。これによれば、今後ユーロの構成メンバーが救済を受ける際には、民間投資家も一定の負担をすべきだというのです。これを受けて財政赤字に悩む各国の国債の金利は一挙に跳ね上がり、ソウルに集まっていた欧州の首脳は慌てて声明を発表し、「ドイツの案はあくまでも民間投資家の自主的な負担を考えているものであって、負担は義務的なものではないこと、検討中の案は2013年以降の導入を前提としている」ことを発表して市場の鎮静化を図りました。

(2)アイルランドは2007年までのバブルの時代に不動産バブルが発生したうえ、金融立国に依存していた経済の体質が今回の経済危機で直撃を受けました。法人税率を12.5%まで引下げて外国投資を呼び込んだのですが、このようにして集まった資金を研究開発投資ではなく、不動産投資や金融投資につぎ込んでいました。この影響でアイルランドの最大の銀行は破綻して国家管理の下に入りましたが、銀行救済に必要な資金は当初の見積もりの2倍以上に達することが明らかになり、アイルランドの国家財政の規模では支えきれないのではということから市場の攻撃を受けることになりました。不動産価格は2009年中にピーク時から65%下落しました。政府部門の債務は大きくないのですが民間金融機関が海外から多額の借入をしているため、短期国債を含めるとアイルランドの債務残高はGDPの8倍に上っています。現在、アイルランドは物価上昇率が5%に達する一方で、経済成長率は2期続けてのマイナスとなり、英国と同様に、スタグフレーションの危険が現実のものとなっています。アイルランドは5月31日に新しいEUの協定について国民投票を行い、何とか承認することができました。

 

2.リーマンショックの影響その5 ポルトガル

ポルトガルについては、2010年の財政赤字が2009年よりもGNP比で増加するのではないかと見られているほか、少数与党の提案する予算案が否決されることが予想されているなど政治が不安定となっています。もともとポルトガルは、EUに加盟した当時から国内に色々と問題を抱えていました。政治が不安定で、1974年に民主主義に回帰して以来、政権が平均2年で交代していたこと、金融や農業、交通部門など国有企業が大きく非効率であること、公的部門が大きく財政運営が放漫的で、財政状況が常に悪い状況にあったことなどです。更に、EU加盟の結果ポルトガルは人件費が急速に上昇し競争力を失い、このため、2000年代を通じて、ポルトガルはEUの平均に比べて一人当たり所得がどんどん低下していきました。そのため失業者も急速に増大し、2002年から2007年の間に失業率は65%増加しました。2009年12月には失業率は過去23年間で最高の10.2%に達しました。2005年に政権に就いた社会党政権は消費税の引き上げなど財政状況の改善に乗り出しましたが、良い結果を生むことはできず、リーマンショックの到来とともに、ポルトガル経済も破綻に瀕し、IMFから支援を仰ぐことになりました。ただ、国内に主要な競争力のある産業を抱えていないことから、今後の見通しは極めて暗いものとなっています。

 

3.ユーロは持ちこたえられるか

(1) 「市場」(投資銀行)の欧州に対する攻撃は終わらない

 2009年春の段階で既にフィナンシャルタイムスはユーロ崩壊の可能性を示唆しました。その後のギリシャの状況を見て、ユーロの崩壊を予想する意見も次第に増え、最近ではまさにこの点が最大の焦点になっています。私は、英米などの投資銀行が引き続き実質債務超過の状態にある中、財政状況に懸念を抱かれているヨーロッパの国に対する彼ら(「市場」)の攻撃は今後も続くとみています。財政状況が悪い国の中で国の規模が小さいために攻撃の対象になりやすいのは、人口500万人のアイルランド、人口1000万のポルトガルやギリシャでしたが、経済状況が最悪のスペイン、財政状況に問題のあるイタリア、金融業という中核産業を失ってほかに見るべき産業のないイギリスも攻撃対象になりうると見ていました。中東欧では、ルーマニアやハンガリーも今後の経済運営によっては攻撃対象になるものと考えられます。

(2) 「ユーロ導入バブル」の終焉

現在の経済状況下、まず明らかなことは、今世紀に入って続いてきたユーロが周辺国に拡大し、周辺国はユーロへの加盟を目標にして頑張ってくるとか、将来のユーロ加盟という要因を材料にして、このような国に対する外国からの投資が増加するという事態が完全に終わりを告げたということでしょう。現在IMFからの支援を受けているラトビアがいい例ですが、2012年に予定していたユーロへの加盟は、マイナス20%成長が昨年、今年と2年連続するという状況の下では完全に夢物語になってしまいました。これは、このようなEUやユーロの拡大という将来への期待をばねにして成長してきたヨーロッパの経済成長の主要エンジンがストップすることを意味します。中東欧の国々は今世紀に入ってヨーロッパのフロンティアーであり、低い人件費と増大する購買力をバックに、工場建設などヨーロッパの投資先であったと同時に、新しい商品の販売先であり、これらの国に対する投資がヨーロッパのバブルを生み出してきたわけです。

(3)「ユーロ圏」の見直し

第2は、ユーロの急激な拡大に対する反省から、ユーロ圏の在り方についての見直しが始まっていることです。EUのもともとの構成国はともかく、旧ソ連の崩壊後に西側を向いてきた中東欧の国や、南欧については、そもそも経済規模や生産性などから考えて、ユーロの構成国とすることには無理があるのではないかという見方です。ギリシャのことが2010年の春に問題になった時には、既に、「ユーロはニューロ(NEURO)とシューロ(SEURO)に分離するしかないのではないか」という意見も出されました。今回の金融危機のような際には、最終的には破綻の恐れのある銀行に公的資金をつぎ込んで金融システムを安定化させるしかないのですが、公的資金の原資は財政資金ですので、金融政策と財政政策の双方が統一されていることが、危機の回避のためには必要なことが明確になってきます。しかしながら、欧州の場合には、金融政策と為替政策は欧州中央銀行に統一されていながら、財政政策の決定権は各国に留保されており、この点が、制度の大きな欠点として表に出てきてしまったのです。

(4)今後のユーロ

今後ユーロはどうなるでしょうか。まずは、2010年以降執行中のギリシャの救済計画がうまくいくかを注視する必要があり、私は個人的にはIMFが設定したとおりに緊縮政策を続けていくのは難しいと2010年の春のIMFによる支援決定以来みていました。ギリシャにとって、痛みの少ない解決策は、ユーロから抜けて、独自の為替政策や金融政策も使って現在の危機を抜けるしかないのではないかとみていたのです。先般6月の選挙では、ぎりぎり保守派が勝利しましたが、保守派もIMFやEUと合意した借り入れ条件の見直しを選挙公約に唱っています。貸付を行ったIMFやEUにとって、貸付条件の緩和が困難と見られる中、ギリシャに対する資金供給が停止する可能性は非常に高いものと思われます。この点も含め、ユーロの今後については次号で詳しく説明したいと思います。

 

4.ユーロの起源――日本人の関与

(1) リヒアルト クーデンホーフ=カレルギー

私はユーロの崩壊については複雑な気持ちを持っています。一方ではIMFなどで既得権益を守ろうとするこれまでのヨーロッパのやり方に対する憤りがありますが、もう一方では、現在のEUを生み出すきっかけに日本人が関係していることから、EUという共同体に一定の思い入れがあるからです。実は、EU誕生のきっかけは日本人を母に持つオーストリアハンガリー帝国の貴族の息子であるリヒアルト クーデンホーフ=カレルギー伯爵が1923年に出版した「汎ヨーロッパ主義」なのです。彼は、初代の駐日オーストリア大使を父に、新宿牛込出身の青山みつを母に、1894年に東京で生まれました。一家は1896年にウイーンに戻り、リヒアルトはウイーン大学で哲学を学んだあと雑誌「汎ヨーロッパ」の編集者として汎ヨーロッパ主義を提唱しました。彼はアジア生まれという経歴をバックに、21世紀はアメリカや、中国、日本といった大国の時代になることを予言し、これに対抗するためヨーロッパは統一される必要があることを強調しました。それとともに、彼はファシズムや共産主義が終わるという見通しも立てています。

(2) カサブランカ

彼の汎ヨーロッパ主義は同じオーストリア人であったヒトラーにとっては大きな邪魔者でした。1938年にオーストリアがヒトラードイツに併合されると、彼はお尋ね者としてチェコ、ハンガリー、ユーゴ、イタリアを経てスイスに逃れます。その後一時はフランスを拠点に活動しましたが、フランスがドイツの手に落ちるとスイス、ポルトガル、モロッコを経て、アメリカに逃れました(アメリカ政府は最初、ドイツに気兼ねして彼にビザを支給しなかったそうです)。ニューヨークに着いた彼は、新聞記事に自分のことが載っており、しかも死亡したとされていることに驚いて新聞社を訪ねて自分が生きていることを証明します。そして当該新聞社の記者が、この逃避行のことを小説に仕上げ、これをもとに1942年に米国で有名な映画「カサブランカ」が制作されました。映画の中でレジスタンス運動のリーダーとして描かれているラズロのモデルがカレルギーなのです。彼の妻は12歳年上のウイーンの有名な俳優であり、この結婚に反対した母みつは彼を勘当してしまいますが、映画の中でイングリッド バーグマンが演じたのはまさにこのような経歴を有する彼の妻でした。戦後彼は、EUの国歌としてベートーベンの交響曲第九番の「喜びの歌」を制定しています。

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