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2013.05.30

POSデータを用いた日次物価指数の開発

  • 渡辺 努
  • 研究主幹
    渡辺 努
  • [研究分野]
    マクロ経済

 デフレ脱却は安倍政権の最優先の政策課題のひとつである。消費者物価の上昇率は現在ほぼゼロだが、これを2年以内に2%まで引き上げるべく、政府と日銀による壮大な実験が繰り広げられている。デフレ脱却の第一歩は物価の現状を正確に知ることである。我が国の物価は総務省統計局によって計測されており、そこで作成される消費者物価指数は、日銀が最も注目する指標である。また、消費者物価指数は、年金支給額の物価スライド幅を決める際に重要な役割を果たすなど、人々の生活にも直結している。

 しかし物価の計測は決して容易な作業ではない。仮に全ての商品の価格が2%上がっていれば2%の物価上昇である。だが実際にはそれほど単純ではない。ある商品は上昇する一方で別な商品は下落しているというのが通常の姿である。そのときに「全体として」価格が2%上がるというのはどういうことなのか。誰にも合点の行く計算手順を決めるのは非常に難しい。消費者物価指数はILOなどの設定する基準に準拠して作成されており、国際的な基準を満たしている。しかしそれでも、これが唯一最良の指数かといえば、そうではない。多くの点で改良の余地がある。

 消費者は少しでも安い店で少しでも安い商品を手に入れようとする。この傾向は長期不況下の日本でとりわけ顕著である。しかし消費者のこうした行動をきちんと追跡するのは非常に難しい。厳しい予算の制約がある中、総務省統計局の価格調査員の数は限られており、全ての消費者の購買行動をモニターすることは到底できない。予め決められた店で、予め決められた商品の価格を調べるのが精一杯である。では解決策はないのか。10年前であれば策はなかっただろう。しかし今は違う。さほどのコストをかけずに良質の物価指数を作成する方法がある。

 スイスやオランダなど欧州のいくつかの国ではスキャナーデータ(POSデータ)を使って消費者物価を作成する試みが行われている。スキャナーデータとはスーパーのレジでバーコードを読み取るときに蓄積されるデータである。これらの国では、流通業者の協力を得てこのデータを入手し、それを用いて物価指数を作成している。スキャナーデータには、消費者が少しでも安い商品を求めて駆け回った痕跡がはっきりと残っており、これを活用することにより、売れ筋商品を確実に捕捉し、物価指数を精度高く計測できる。スキャナーデータは、いわば物価版のビッグデータである。

 東京大学の物価プロジェクトが公表を開始する「東大日次物価指数」はこのスキャナーデータの利点を最大限に生かした物価指数である。日本全国の約300のスーパーから、その日の価格と販売数量の詳細な情報を閉店後、送信してもらう。対象となる商品はスーパーで扱う全ての商品(食料品や日用雑貨など)であり、商品の種類にして20万点超である。その情報を処理して指数を作成し、ホームページにアップする。店舗からの情報伝送の遅れなどを勘案しても、3日前の物価を知ることができる。現行の消費者物価が1か月に一度の公表であり、しかもある月の数字が公表されるのは翌月の末である。これと比べればはるかに迅速に物価を知ることができる。物価も、株や為替のように、リアルタイムで見ることができる時代に一歩近づく。

 物価が経済の「体温」であるとすれば、物価指数は「体温計」である。経済社会の健康を維持し、安定的に運営するには誤差の小さい物価指数が不可欠である。とりわけ、今の日本は、物価上昇率がゼロ近傍にあり、デフレなのかインフレなのかさえ判別困難だ。インフルエンザの高熱を検出するのに高価な体温計は要らないが、微熱をキャッチするには高精度が必要だ。今の日本では高精度の物価指数が欠かせない。デフレ脱却に向けて、東大日次物価指数が日本経済の第二の体温計として活用されることを期待したい。


【東大日次物価指数は5月20日より試験的な公開が始まっています。こちらでご覧いただけます。】



「東大日次物価指数」(以下「本指数」といいます)は、渡辺努教授(東京大学大学院経済学研究科)及び渡辺広太氏(中央大学商学部助教)が日本学術振興会・科学研究費補助金課題「長期デフレの解明」の活動の一環として、開発・作成したものです。本指数は、誤差の小さい消費者物価指数を目指して、特定のデータを特定の数式により処理して作成した指数であり、何らかの投資や経済取引などに利用されることを目的として作成されたものではありません。本指数の性質につき十分にご理解いただき、ご自身の責任により、本指数をご使用ください。本指数に依拠して行った投資や取引などの結果ないしそれらにともなう損害について、当研究所はいっさいの責任を負いません。


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